校長通信
ゆくて遥かに
校長通信

2024年12月2日

第319号 深志運動部の起源

 11月後半、3年生の定期テストも終了し、3年各教科では共通テスト対策が本格化し始めます。生徒の皆さんも教員(私も含む)も風邪気味の人が多いようで、気温の低下、乾燥対策も重要になっている様子ですが、体調にはくれぐれもご留意ください。

南農から昨冬いただいた校長室のシクラメン、昨12月、今年の7月に続き、3回目の開花、元気です。

【運動部の歴史と野球部創立130周年】

 深志高校の運動部の起源は明治29年(1896年)にさかのぼることができます。当時の松本中学の「校友」等の記述によると、この年の春に、それまでの「寄宿舎茶話会」と呼ばれた寄宿舎ごとに行われていた運動団体が、寄宿舎の枠にとどまらず中学全体の活動とされ、「ベースボール、フートボール、ローンテニス等の部活動」となったようです。さらにその後の「校友」の記載によると、明治34年(1901年)には野球部、角力部(相撲部)、撃剣部、柔術部、弓術部、庭球部が体育会を組織し、明治35年秋より始まった県下中学校の連合運動会に出場、それを機に活動が一段と盛んになった、という記述も残っています。すなわち、再来年の令和8年(2026年)は松本中学・松本深志高校創立150周年であるのと同時に、運動部創設130周年にあたることとなります。なお、松本中学時代に発足した部活動のうち、創設来継続的に周年事業を実施している部活動の周年誌を見てみると、明治29年に「フートボール」としてすでに生徒達にはなじみのあるスポーツだったサッカーは、大正3年(1914年)に蹴球部として発足しています。また、陸上競技部は大正4年(1915年)に徒歩部として、大正7年(1918年)には山岳部が発足していて、それぞれ創部100年以上の歴史を刻んでいます。また、本校九十年誌によると、昭和14年(1939年)に篭球部、排球部、水泳部が創立しており、戦争中にその活動はいったん休止されますが、それぞれ戦後に復興され、創部以来85年という歴史を刻んでいることがわかります。

サッカー新人戦県大会1回戦、対伊那北で先取点をあげた深志イレブン(11/29 2回戦進出)
女子バスケ中信新人大会、初戦第2クォーター後作戦をたてる深志チーム。見守る保護者応援席。(中信3位 11/30)
男子バスケ中信新人大会、初戦第2クォーター後作戦をたてる深志チーム。中央は石山監督。(中信5位 11/29)

 これらの部活動の中でもいち早く対外試合もスタートしたのがベースボール、すなわち野球部です。お城に松本中学の校舎があった時代、天守閣前の広場(現在有料の庭園)がグランドとなっており、そこで練習試合も行われていたのは有名な話です。「スクイズ」という戦法を初めて行ったのが、松本中学野球部だとか。そして戦後、昭和22年に甲子園大会が復活したその年、松本中学野球部は信越代表として甲子園の土を踏みました。これが本校唯一の甲子園出場経験でもあります。

松本中学グランドで練習試合をする飯山中学と長野商業(校長通信210号参照)「天守閣まで打ち上げろ!」
校長室にある甲子園出場記念メダル

 その野球部のOB会の皆様が創部130周年を記念して寄付を募り、野球部が移動の際に用いるマイクロバスを寄付して下さり、11月30日(土)にその贈呈式が行われました。寄付にご協力をくださいました保護者の皆様をはじめ、OB会の皆様、同窓生の皆様、一般の皆様には、心より御礼を申し上げます。今から15年くらい前に、中古のグリーンのマイクロバスをご寄付いただき、歴代野球部の皆さんの足となって参りました。私にとってもなじみ深い緑のバスですが、さすがに老朽化著しく不安もございましたので、これで安心して活用ができるのではないかと一同大変喜んでおります。あらためましてご支援くださいました皆様のご厚情に感謝を申し上げます。

新しいバスを前に、「これからお世話になります!」
贈呈式でご挨拶いただいた安藤善二OB会長 ありがとうございました。

【大会上位者成績】

 前回に続き県大会上位以上となった皆さんの大会成績を掲載します。

なぎなた 県高校新人大会男子個人 1-3長嶌蓮也さん 第2位 全国大会出場

信州高校生サイエンステクノロジーコンテスト情報部門  優勝(同点) 深志Bチーム(2年)、深志Cチーム(1年)

 新人戦中信地区大会もあとはバレーボールを残すのみです、新しい代となって初めての公式戦、人数が少なくて交代もままならないなど、チーム環境が大きく変わる中、頑張っている姿を見ることができて、私も元気が湧いてきました。