校長通信
ゆくて遥かに
校長通信

2022年9月12日

第220号 校内合唱コンクールが開催されました

 9月7日(水)、お昼近くには雨もやみ、日差しがない分むしろ涼しい環境の中で、2年ぶりの合唱コンクールが本校大体育館で実施されました。一昨年はキッセイ文化ホールの大ホールをお借りして何とか実施したものの、昨年は9月における感染症のレベルが高く、すでに練習が始まっていた合唱コンクールを中止にせざるを得ませんでした。今年は合唱コンクール委員会が様々な工夫をする中で、ぜひとも合唱コンクールを行いたいという思いのもと、準備が進められてきました。

全校の半分が入った体育館。後ろに並んだ審査員は8名(生徒4、教員4)。23団体の講評を書きまくりました。どのクラスにも心では拍手を送っていましたが、書くことに必死でした。

 まずは、全日本合唱連盟より出されている、練習方法及び本番におけるガイドラインの徹底です。これにより練習会場の設定や立ち位置、マスクに関して細かい規定が呼びかけられ、向かい合っての練習や、狭い空間での練習はご法度となりました。また本番の並び方は平台に立つ場所がすべてバミリ(テープで位置が示されている)されており、マスクを外すタイミングまで指定です。会場は前半が奇数クラス、後半を偶数クラス+職員として中間の休憩で総入れ替え、体育館に入れないクラスは、各教室でオンラインでの鑑賞となりました。体育館での座る位置もバミリテープで示されていて、密集しないよう呼びかけが行われていました。決められたところに座ったり立ったりすることは深志生にとってみるとやや苦手とすることですが、それらが要求されて、ちょっとした緊張感も漂いました。

最優秀賞を獲得した3年6組の皆さん。曲は西部敏彦 作詞、瑞木薫 作曲、「響きあう命」
ピアノと合唱の繊細なコントラストとドラマチックな展開が印象的でした。

 各クラス、様々な悩みの中で課題と取り組みながら、この日を迎えたのだと思います。何とか上位の成績を収めたいという目標の中で取り組んだクラスもあったでしょう。モチベーションが上がらず、合唱コンクールになんて出たくないという思いと戦いながら、それでも何とか形にしながら当日を迎えたクラスもあったかもしれません。一年行事がなかったということは思った以上に大きなことだと思います。例えば、昨年の悔しかった思いや逆に充実感をバネにもう一歩上を目指そうというような思いを今年につなげることができませんし、3年生のかっこいい演奏に憧れたり妬んだりすることもできなかったわけですから。それでも、様々な課題をクラスで解決に向けて取り組みながら、ただ声を出すというのではなく、自分の思いを相手に届けようという意思にまで昇華しようとしていた姿は、これからポストコロナの中で、再び合唱コンクールの伝統を積み上げていってくれるのだろうなぁという期待を感じさせてくれました。さて、演奏についてですが、どのクラスにも共通で感じたことは、とてもパートのバランスが良く、調和した響きを構成していたことです。特に男声の響きは柔らかく優しく、その土台の上で女声が輝いていました。

金賞となった3年3組の皆さん。曲は南相馬市立小高中学校平成24年度卒業生 詞、小田美樹 作曲、信長貴富 編曲「群青」 詞に共感しながら、編曲者の意図を相当勉強した演奏でした。

 今回、最優秀賞に輝いた3年6組の指揮者:岩下千宏さん、自身が伴奏者賞にも輝いた赤澤カレンさんが校長室を訪ねてくださいましたので、お話をうかがいました。岩下さん、赤澤さん、ありがとうございました。

「上位入賞を目指すというよりも、クラス全体でよい思い出を作りたいとこれまで考えていました。発表の時、まさか自分たちが最初に呼ばれると思っていませんでしたので、びっくりしました。クラスのみんなが喜んでいる姿を見て、3年間これが見たかったんだと思いました。」

「ピアノから支えたいと思っていましたが、合わせたときとても素敵で、弾いていて幸せを感じました。岩下さんの指揮だったからこそ、クラスのみんなで盛り上げることができたと思います。」

「2年生の時、楽しみにしていた合唱コンが無くなって、部活も行事もなくなって、授業と勉強の繰り返しで暗くなっていました。3年生の演奏が聴けないのも残念でした。だから今回の合唱コンは3年になったときから楽しみでした。」

「これから自分の進路に向けて改めて頑張ります。これからつらいこともあると思いますが、心の通じ合ったクラスの仲間もいるし、今回の思い出が力になってくれると思っています。」

指揮の岩下さん(左)と、ピアノの赤澤さん。「クラスの仲間のおかげで…」というフレーズが何回も出てきたのが印象的でした。

  【以下は蛇足です。】

〇 十年前の合唱コンクール(基本的には今とあまり変わりませんが。)

 私が3年の担任をやっていた時、それまでそれぞれが部活動や、生徒会や、文化祭にとられ活躍し、クラスで集まって何かやろうとした経験がそんなになかったように感じていました。それが、夏休み前にすべて引退し、生徒たちがクラスに戻ってきてくれた、旧友たちが大挙して故郷に帰ってきたような感覚を持っていました。そして、どちらかというとヤンチャだった男子達が2年の時の悔しさを払しょくしようと意地だけで動いた結果、それまであまり話したことのなかった人同士も心を開きながら当日を迎えた記憶があります。当時の3年生には、毎年一歩も譲れないというバチバチ感・ガチガチ感があって、そんな中、年によっては最優秀をしなやかな2年生に持っていかれるというのも、人生の厳しさを感じさせるものでした。

2011/ 9/ 7 3年3組    2年時、雨中のトップバッターで下位に沈んだリベンジに臨み、アカペラに挑戦するも、1、2年次とも学年1位の8組に及ばず総合2位

〇 四十年前の合唱コンクール   7月に講堂でやっていた時代  

 当時は各学年8クラス、1クラスが47人~48人でしたので、どうやって講堂に皆さんが入っていたのか、今から考えると不思議です。共通一次テストが始まった頃、とんぼ祭が秋でしたので、合唱コンクールは7月の一学期終業式の前の日に行われていました。1年生にとって、3年生の各クラスが歌う古き定番の名曲たちは、聴いていて圧巻だった記憶があります。そして最優秀のクラスは、終業式の校長先生の話しの前にアンコール演奏をするんです。いつもは怖かった同じ郷友会の先輩が、アンコールステージで夢中になって歌っている姿を見て、絶対自分たちも3年であのステージに立って輝くんだと決意し、余韻から校長先生の話しは全く入ってきませんでした。2年後、1学期終業式で、われらが3年7組がアンコール演奏をすることができた喜びは、一生忘れません。