校長通信
ゆくて遥かに
校長通信

2022年7月4日

第211号 深志体操とその周辺の記憶

 先日、職員の親睦と健康増進を図るため、学校安全衛生委員会の先生を中心にニュースポーツの研修会が行われました。先生方もお忙しい中でしたが、感染症対策に気を付けながら、しかし、運動中ですのでマスクをはずしつつ、楽しい研修会となりました。

 この研修の開始にあたり、準備運動として「深志体操」が行われました。自分がまだ本校の生徒だったころ、体育の授業と言えば準備運動として深志体操が行われていました。今も体育の授業の最初には準備運動として深志体操を用いるそうです。ラジオ体操よりも運動負荷が大きいように感じますので、ラジオ体操ではやや物足りないと感じる高校生にとっては丁度よいようにも思われますが、深志の名物の一つであることは間違いないでしょう。高校生以来、ほぼ40年ぶりに「深志体操」と出会ったわけですが、当時の薄暗い感じの(あくまでも個人の感想です)旧体育館の様子や匂いなどが蘇ってくるような感傷に一瞬襲われました。また、部活の悪友が旧音楽室で深志体操の伴奏をピアノでよく弾いていましたので、現在の大体育館のあたりにあった木造の古い音楽室や音楽室の前の芝生と百葉箱の風景まで蘇ってきて、頭の中がグルグルしてしまいました。ちなみに大体育館と音楽棟の改築は昭和60(1985)年でしたので、教頭先生の在学中はすでに現在の大体育館と音楽室だったそうです。(さらに参考までですが、二棟は1999年、二体は2004年の改築です。一棟と講堂は1935年ですが。)

 コロナによる休業中は、体育の先生方が制作した深志体操の動画が生徒の皆さんに配信されていました。現在も一般配信はされていませんが、生徒限定で動画が見られるようになっています。動画がなかったころ、生徒には「深志体操解説」というプリントが配られ、この解説書をもとにやり方を覚えました。私の頃もわら半紙に印刷された手書きのものが配られました。

 この解説書の冒頭を見ると、創作されたのが1956(昭和31)年となっています。ピアノ譜を作曲された飯沼信義先生と10年以上前にお話しをさせていただく機会がありましたが、その際、深志体操の話しとなり、先生が深志高校3年生在学中に深志体操の作曲をなされたとお聞きして、かなり驚いたことを覚えています。

 安曇野市豊科ご出身の飯沼信義先生は、日本を代表する作曲家のお一人です。オーケストラや歌曲等、幅広く作品をつくられ、また、日本中の児童生徒に歌われている合唱曲も数多くつくられています。これまでNHK全国学校音楽コンクールで小学校、中学校の部の課題曲を4曲も作られています。深志高校関係者としては、「讃歌 深志百年」を作曲された方としてなじみがあるのではないでしょうか。小・中学校での音楽会や合唱コンクールなどで、飯沼先生の作品を演奏されたことのある方は少なくないと思いますので、ぜひ検索してみてください。

3年7組 百瀬大貴さん(吹奏楽部部長)にあらためてピアノ譜を演奏していただきました。諸先輩方は解説と併せ、深志体操を探究してみましょう。百瀬さん、倉下先生、文化祭前のお忙しい中、ありがとうございました。(6月30日 教育会館で録画)

 さて深志体操は1985年に運動の内容の一部改訂が行われているようです。生徒によって創られたものが、時代に沿って変化しながら、さらには動画配信という新たなツールも用いられつつ、深志の歴史とともに半世紀以上続いている。そんな「ここにもあった」深志あるあるを、今回フューチャーしてみました。飯沼先生、今後ともぜひお元気でご活躍ください。

1980年代前半と思われる写真。平屋の音楽室とその前庭。生徒たちの後ろに百葉箱がありました。
もちろん私服ですが、男子生徒のシャツはイン、というのが一般的な時代でした。東門を入り北に向かうと生徒会室の建物、さらに北へ行くと自転車置き場があって、その北側の校地の北東端に音楽室がありました。