第262号 暑中お見舞い申し上げます
皆様、お暑うございます。今年の7月はとんぼ祭以降本当に暑い日々が続きました。もちろん、毎年の夏は暑いのですが、やはり私が高校生だったころとは大きく異なります。特に私が高校3年だった1980年(松田聖子が「裸足の季節」でデビューした年です)は冷夏で、8月1日の追悼式にも少し肌寒さを感じながら参列したことを鮮明に覚えています。(受験勉強がはかどりました。→ウソ、とんぼ祭の準備ばかりしていました。)
夏の暑さが本当に厳しいものになってきたのは、21世紀に入ってからでしょうか。本県の県立高校の中にも同窓会などのご厚意により、3年の教室だけでもエアコンを入れる動きが始まりました。私が本校に社会科の教諭として赴任した2006年頃に、深志高校でも同窓会を中心に、エアコン導入の検討が始まったようなのですが、当時の生徒会が審議し、近年の温暖化の進行に鑑み、二酸化炭素排出量削減に協力するためにも、エアコンの導入を辞退するという結論に至り、エアコンが入らなかったことを記憶しています。そのかわりに、同窓会を中心にして天井の扇風機を全教室に設置していただきました。涼しくなってとても具合が良かったのですが、主に授業をしていた134教室は教壇まで風が届かないし、配布したプリントや、油断するとテストの答案用紙まで教室内を舞い散乱するという事態も同時に発生していました。本校を含め各県立高校に、県の予算によってホームルーム教室を中心にエアコンが設置されたのは、2018年から2020年にかけてのことになります。
【西穂高岳遭難事故追悼式】
8月1日、ご遺族の皆様、21回生の皆様、職員、応管を中心とした生徒等、約50名の方々にお集まりいただき、モニュメントにおきまして献花、黙祷が行われました。また、独標におきましても同窓生の皆様や職員生徒による追悼式が行われています。今年は三家族のご遺族の方々とお一方のご遺族の代理の方にお越しいただきました。ご遺族の方々は故人のご兄弟姉妹、いとこの方がお越しくださいましたが、当時の様子をうかがうと大変心が痛むとともに、学校行事でのこうした事故を、たとえ56年が経とうとも繰り返してはならないことを、あらためて心に刻みました。また先日1年生の一人が校長室を訪ねてくれて、「おばあちゃんのいとこがこの事故で亡くなられた」と話してくれました。その生徒に校長室にあった「独標に祈る」を見せたところ、亡くなられたご親戚の方について書かれた数ページを、暫くの間、真剣な表情で読みふけっていました。
また今週は3年生の補習が行われました。3年生の皆さん、ご担当の先生方、暑い中本当にご苦労様でした。また1年生でも信州大学医学部や企業、事業所を回るキャリア研修が行われ、多くの1・2年生が部活動に汗を流し、各大学で行われているオープンキャンパスに参加しています。熱中症と感染症にくれぐれも注意しながら、この時期にしかできない活動に、将来に向けての準備に、取り組んで欲しいと願っています。鹿児島総文に今まさに行っている皆さん、全力で日ごろの成果を発揮するとともに、台風が近づいていますが、気をつけて帰ってきてください。
ところで先週の探Qウィークの講師としてお越しくださった方のお一人にアルプスピクチャーズ(清水1)の三好大輔さんがいらっしゃいます。三好さんは松本市の市民が保管していた8ミリフィルムを集め、昭和30年代を中心とした松本の人々の暮らしをまとめた「まつもと日和」という映画を作成されました。8月1日、2日に市民芸術館で上映会を行っていると聞きましたので、私も2日の夜の部を観に行きました。
私が生活していた子供の頃の松本よりもひと世代前の時代の様子を映していましたので、私の記憶に比べても多くの道路は舗装されてなく、災害にも弱い街だったけど、信じられないくらいたくさんの子どもたちが公園や広場や通りにあふれていていました。また伊勢町や六九町や西堀町などは私の記憶の中にある町並みで、今ではお店もすっかり様変わりしてしまいましたが、今よりずっと人と物と活気にあふれてゴミゴミしていました。冬も今よりずっと寒くて、自分も美鈴湖や学校の校庭や、島内の他人の田んぼでスケートをしたことを思い出しました。そして昭和十年代の出征を見送るシーンは、松本でも一介の市民が兵士となっていったリアルを、この8月という季節に自分の中に思い返させました。あわせてBGMがとても素敵でした。8ミリフィルムですので当然音が無いのですが、ノスタルジーを誘い、自分のルーツを、映画のオリジナルサウンドトラックから感じさせていただきました。上映会はお盆中にも行われるようですので、興味を持たれた方は「まつもと日和」でご検索ください。