第224号 全校クラスマッチについて
10月4日(火)、少々強風に見舞われましたが、晴れた秋空のもと、全校クラスマッチが開催されました。ようやく感染症の第7波は下火となってきましたが、まだまだ気を抜くことはできませんので、対策はかなり厳重に行われていました。開会式及び翌日の昼休みに行われた閉会式は、各教室で放送により行われたのに加え、試合の前後には参加者の手指消毒が行われていました。私も出場させていただいた女子バレーボール(45歳以上の男子は女子の試合に出られるルールが今も生きていて感動しました)では、ボールを3~5プレイ?ごとに交換して消毒するなど、生徒の皆さんはクラスマッチで感染拡大しないよう、様々な方策をとっていました。(応援は声を出さずに拍手のみ…、っていうのは、難しかったかもしれませんね。)ちなみに、私が開会式の際にお話しした賞品についてですが(40年前は一斗缶入りのかりんとう、10年前は段ボールにそのまま入っていたポテトチップスだったという内容)、今年は19号線沿いの〇〇〇〇〇〇で安く大量に仕入れたお菓子とジュースでした。賞品の仕入れ先も今風ですし、内容も多様化が進んでいました。
昨年度の総合優勝は、何と職員チームだったそうですが、今年度はその職員チームを2位にとどめて見事優勝したのが3年3組でした。そこで3年3組のルーム長(木船篤志さん・サッカー部)と副ルーム長(宮下敏尚さん・野球部)に校長室でお話をうかがいました。
「昨年までのことを考えると、上位に入るとは全く思っていなかった。合唱コンの金賞(2位)もそうだったが、全クラ優勝は本当に意外だった。みんなでやれば、結構できるんだとも感じた。」
「なかなかクラスでまとまる機会のない学校で、団結できた感じ。結果として順位がついてきて嬉しかったが、それ以上にみんなで一体感を持つことができて良かった。優勝できるとまでは思っていなかったが、何事にも女子がしっかりしていて運動も強いクラスなので、女子の皆さんのおかげだと思う。」
「クラスのみんなへ。勝ってくれてありがとう。結果的に優勝でしたが、クラスの雰囲気はクラスマッチの間とても良くて、楽しかった。あと半年を切ったけれど、これからも仲良くやりましょう。」「残り少ない日々だけれど、これまでの思い出を、これからも互いに話ができるよう、大切に過ごしていきましょう。」
【卒業アルバムに見る全クラ】
校長室に残されている卒業アルバムのバックナンバーを見ながら、かつての全クラの様子を探ってみました。
10年前そして20年前の写真を見ると、クラスマッチの楽しそうな様子や、仲間との絆を深めている様子は今とあまり変わりません。しかし大きく違う点が一つ。それは実施されている種目です。10年前はソフトボールとサッカーの両方がグラウンドで行われていました。学年クラスマッチと全校クラスマッチで実施種目のすみ分けがあったかもしれません。ソフトボールには女子も参加し、女子の人数によって特別ルールがあったようにも記憶しています。接触することがほとんどないので、男女混合チームをつくったり、コロナ禍において実施するには、都合の良い競技かもしれません。ただ、ファウルチップが顔面を直撃するようなこともあるので、安全面でより配慮する必要性があるのかもしれませんが。
20年前の写真を見た際に、やはり特筆すべき点は相撲がクラスマッチの種目におかれていたということでしょう。昨年の開会式で、塩野前校長先生が、校長先生対生徒の取り組みの様子が写された一枚の白黒写真を各教室に配信し、昭和40年代の全校クラスマッチおける相撲競技について紹介されたようですが、平成8年頃のクラスマッチでも昔の中庭の土俵で、当時生徒だった数学の高橋先生も相撲競技に出場されたそうです。平成12年(2000年)に校舎改築とともに現在の場所(元は屋外バレーボールコート)に相撲場が移築されたのちも、クラスマッチで相撲競技が行われていました。
変化の無いように見える全クラですが、時代背景によって賞品も移り変わり、種目も移り変わります。しかし運動協議会による運営と、職員はガチンコの競技者として関わっているのみということと、クラスの絆を深めることについては、時代や校舎が変化しても変わらないようです。
ちなみに、今年度、放送愛好会が作成し、全国コンクールで4位入賞したラジオドキュメント部門の作品が、相撲好きの本校生の様子を追った、「はっけよい」でした。準備が整った場合、この続きにこの番組を視聴できるようにしたいと考えています。